劇場初号試写会を行いました

試写会アフタートーク

宮島)これからアフタートークライブを行いたいと思います。みなさま本日はナマドゥサラマンジ〜今が青春〜の試写会にお越しいただきまして改めてありがとうございます。紹介しましょう、かまどおばぁこと福嶺初江さんです。大きな拍手をお願いします。

福嶺)今日はスーディカプーです。

宮島)そして撮影監督泉山朗土さん。大きな拍手をおねがいします。そしてダンス振付演出マニシアさんです。

マニシア)スーディカプーです(笑)。

宮島)早速ユンタク(おしゃべり)していこうと思うんですけれども、かまどおばぁは今日初めてみたんですよね、作品。

福嶺)そうですね

宮島)いかがでしたか今見て

福嶺)最高に幸せです。ナマドゥサラマンジですから(笑)最高ですね。ありがとうございました多良間島まで来ていただいて。

泉山)そう言っていただけるなら、それが一番うれしいです。

福嶺)マニシア先生もありがとうございました。いっぱいダンスを教えてもらって。

宮島)泉山監督もこういうドキュメンタリーはなかなか経験がなかったっておっしゃっていましたけれども、今日完成して関係者の方にまず見ていただいて今の率直な感想はどうですか?

泉山)そうですね「面白いおばあちゃんがいるよ」って最初マニシアさんに紹介されて、戦争体験を踊りに変えて踊っているおばあちゃんがいて、実は地元コザでラジオDJもして、YouTubeで慰霊の日に配信もしている。あと脚本の学校に行ったりとか、とにかく沢山いろんなことに挑戦していると。

実は最初そのいろいろな表現したいことの背景にあるのは、出身の多良間島の八月踊りというものが、背景にあると考えていて、そういうものを表現した映画として作ろうというテーマをある程度見立てていた訳です。けど取材期間の約2週間、お話をずっと聞いていると、なんかちょっとそういうことじゃないなと。だから例えば宮島さんが映画のインタビューの中で語っているようなおばぁと、おばぁのお母さんと関係の話を聞いているだけで、フッと、自分と自分のお母さんの話に立ち戻って考えることができたりとか、そういうところを重要なポイントとして編集しようと少し考え方を変えたところがありました。きっとそういうものは今日みなさんに感じ取ってもらえたのかなと思いながら後ろで見ていました。

宮島)マニシアさんはいかがでした?今日完成した作品をご覧になって。

マニシア)おばぁと最初出会ったのはキジムナーフェスタっていうところで、コザの一番街を舞台としてコミュニティーダンスをしたんです。1年目はかまどおばぁはいなかったのですけど100人ぐらい集まったので、一緒にダンスの作品を作らせてもらいました。その中で何かおばあちゃんたちにとても興味が湧いたので2年目の時におばあちゃんたちを独立させたシーンができないかなと思ったんですね。1人ずつお話を聞いていくうちに普通に戦争の話が出てきて、私は体験していないけど、このお話は私の子供やその子供たちに知らせていく方法はないかなって思ったんです。でもその時は全然映画っていうのは頭になくて、私は体験をした人の身体がそのまま滲み出てくるものっていうのを伝えられたらと思っていたんです。その時のダンスの題名は「空にとけゆく言葉のかけら」っていうものでした。当時私が思い描いていたダンス作品になったものが今回映画になっていったというのが素晴らしい変化だなと思っています。本当にずっと残せて世代を超えて伝えていく事が現実とダンスであっても現実と映画であっても、ただ「こういう歴史がありました」じゃなくて、それがこの言葉を使っていいのかわからないですけども、美しく残されるっていうところに感動しました。

宮島)実は最初この映画が作られるということで監督とプロデューサーの野中さんから連絡をもらって、かまどおばぁのドキュメンタリーを撮るんだっていう話を聞いたときに僕はちょっと心配だったんですよ。正直なところ変な大人にだまされているんじゃないかと。沖縄のおばあちゃんだからというのでね。変な利用のされ方しないかなと正直ご心配していた。おばぁもチャレンジャーだから拒まないしね。それが、お話を聞いていくうちにああ大丈夫かと。最終的に約50分という短い作品でしたけど、なんかかまどおばぁの魅力がね。ホント詰まっていてね。ほっとした。もうこれが最初の感想ですね。

それで僕のもう一言、言いたいことを最初にもバシっと言ちゃいますけど、映画館作ってほんとよかったなと思っています(笑)

会場)拍手

宮島)いろんなきっかけのうちの一部であり、今日という日を迎えられたのもいろいろな人のおかげですが、またさらにかまどおばぁだからなんだろうな。なんか嬉しい。

宮島)じゃあせっかくなので今日これだけの人数はみなさんから一言ずつ感想を伺いたいなど思って。まず一緒に踊られていた方の感想を聞いてもいいですか。映画を見てどうでしたか?

安次嶺)良かったですね。上等だった。
平安名)こんな映画になるとは思わなかったですね。
宮島)ああ嬉しい、ありがとうございます。なかなか感想ってあとからジワジワが出てくるかもしれないですよね、どうでしたか?

来場者1)今日は素晴らしかったです。かまどおばぁと私は銀天街からのスタートで もうずっとだけど、長く、細く、短く、薄くみたいな関係ではあったんですけれども。でも一緒にここ(シアタードーナツ)に来たりとかね。それが今日シネマの人になったっていうのがね。そしてそれも内容がこんなに素晴らしかったというのがね。かまどおばぁの人生がこんなに濃縮なもう素晴らしい物語があると本当に知らなくて、いろいろと教えていただきました。ありがとうございました。

福嶺)スーディカプー

宮島)いかがでした?

来場者2)ありがとうございました。なんかおばぁたち見るだけで涙がでる。

私は東南アジアとか太平洋の島に今まで行ってきていて、それがきっかけで去年始めて戦争について勉強しなきゃいけないなと思って勉強したんです。それで今年の10月に一人で沖縄に来ていろいろ一人で歩いて、福岡に帰った次の日にマニシア先生とお会いする機会がありまして。その時に沖縄のつながりの話から「今日おいで」って言ってくださって、来たんです。今まで色々自分なりに勉強してきて、やっぱり戦争のひどいことっていうところばっかりを勉強してきたけどマニシア先生が今言われた言葉を使わせてもらうと美しい部分もあるんだなっていうのは今日初めて知ったので、もっと知りたくなった。そういう部分を同じ世代の子とかさらにもっと下の人たちに伝えていきたいなって今日思いました。

来場者3)3年前のシージャダンスの時に制作で少しお手伝いさせていただいた宜野湾から来た純ウチナーンチュなのですけど、96歳で亡くなったうちの母親のことをすごく思い出しますね。最初シージャダンスにお手伝い入ったときも「県外の人がなぜそんなことをするのだろう」という思いをどうしても拭えなかった。母親父親を通して戦争というのを直に肌でまだ感じている世代なので。母親がずっとその話をしなかったこととか、そもそもそういうことをなぜ県外の人がやるんだろう、そんなに簡単に扱える題材じゃないよねって、思っていたんですけど、何かごちゃごちゃ考えるよりも何かここでやらなければ何か残していかなければいけないんだよなって思うようになって。そういうことを考えながら今日映画を見て。なんか、なんだろう。先ほど言ったような悲惨さとかそういうことを考えがちだけど、私の母の姿を通して、かまどおばぁや皆さんの姿を映像で見る中で生きていく逞しさと、そしてそれがどんなに美しいことなんだっていうこと。それを残していかなければいけないんだなっていうのを今日映画で実感させていただきました。ありがとうございます。

宮島)ありがとうございます、嬉しいね。

福嶺)スーディカプー

会場)拍手

来場者4)僕もかまどおばぁとは銀天街とかいろんなところで共通点があって、施設とかでもね。さっき映画にでた草かんむりの、かまどおばぁがコザ高の定時制に通っていた時の先生とも知り合いで僕が以前働いていた施設にも来てくれたりとか、ご縁があったりして。先程お話にあがったジグザグの慰霊の日のイベントも3回一緒にしていて何かを僕が引き出すことってもうないのかなとか考えていました。他の先輩方とかまどおばぁがコラボしたら話が広がったりするのかなとか色々なことを考えていたんです。

照屋の街を歩いているシーンは僕の住んでいる本当にそばで、あの階段とかいつも自分が停めてる駐車場のそばで、僕もいい路地だなーとか見てたりします。そして通学路だったりする景色が、かまどおばぁと自分とのそれぞれの時代でつながっているというところがすごくいいなあと思いました。

また多良間のシーンになったときに地元の人とお話しして、すぐ共通の知り合いの話とか友達の話とかして、そしてこの子どもたちが校歌を唄っているところから最後はばーっと、もうやばいくらい涙の洪水が始まって。

ほんとにこの映画を通して共通の知り合いが他にもたくさんいて、かまどおばぁを知っている人ももちろん、知らない人にもやっぱり一人の人生。足跡っていうかやったことが残っていてとても感動しました。またこれからもみんなと一緒に何かやりたいなとか、すごい嬉しいなっていう気持ちにさせていただきました。これからもまた「頑張れチャレンジ」ありがとうございました。

宮島)ありがとうございます。古堅さんお願いします。

古堅)多良間の情景、八月踊りの写真とか、僕も与那国生まれなので島に対しての思い入れがあって本土だけで育った人間とやっぱり違うと思うんです。僕も五歳までしかいなかったんですが与那国。やはり島の風景とコザの風景との連続性が同時にあるという意味で断然違う。それで、そのいろいろな島の人が来て出来た街がコザなんです。

映画の中でかまどおばぁが歌っている歌ですね。昔このコザをテーマにした映画があったんですがその時の劇中歌が赤線地帯のおんなの子が歌ってた「19の夜」という歌で、奄美出身で。あの歌が自分がいままで聞いた、そしてこれから聞くであろう全部の歌の中でも一番最高なんです。なぜかというと上手い下手じゃなくて沖縄の言葉でいうと「歌が先」というのがあって、歌に情けがこもっているかどうか、ハートがこもっているかどうかだと。

そして今日まで、かまどおばぁがこんなに歌がうまいとは思っていなかった。この映画の中のかまどおばぁの歌は何か人に聞かせるための歌じゃなくて、やはり自分のハートの中から歌っている歌で、これらは本当に宮古の言葉や多良間の言葉のイントネーションも含めてやはりこれらも特筆すべきだと。おばぁ!(拍手)

福嶺)スーディカプー!

宮島)ありがとうございます。さあもう一方お願いします。

水野)そのおばぁが歌っている時の八月踊りの写真を撮らせていただいた水野と申します。おばぁにあったのは2015年の「たらまゆー」という宮古島から多良間にわたるフェリーの中で、僕が離婚をして中学校2年生の子供を連れて旅行している時におばぁが話しかけてきてくれて「ぼく何年生?」って。ちょうどその時子供はすごく反抗期でまったく勉強もしなくて高校に入れないような状態。そこにおばぁが「大丈夫よ私は70歳で高校に入ったから」っていう話をしてくれて。勉強したいときにやれば何歳からでもできるからという話をしてくれて。ちょうどその時自分も仕事でも行き詰まっていて、それを聞いてふっと心が解放されたような感じになりました。おばあぁもちょうどその時に八月踊りを何十年かぶりに見に行くという事で、一緒に見に行って。そこで撮った写真がコンペの最優秀賞をいただいて、そこから写真も本格的にやるようになって。そのつながりでずっと多良間島の人とつながっています。

僕も実はそのおばぁにインタビューをしておばぁの人生を何か形にしたいなと思っていたところにこの映画ができて、すごく僕が作るより素晴らしくできているので、うれしくて。おばぁのくぐり抜けてきたすごく厳しい人生、自分だけでもすごく苦しいのに、他の人に優しくしてあげる無償の愛みたいなものも感じて。僕もそういうところに絆されて、おばぁが映画になって、初号試写されるんだったら行かなきゃと思って飛んできた。本当におばぁを尊敬しています。長生きしてほしいですし、また一緒に八月踊りに行きたいと思っています。

福嶺)わざわざ三重県からありがとうございます。スーディカプー。